2024年04月12日

独り居思考---短歌たんたん 令和6年3月


我が住まいのある、11階建公団住宅


一ヶ月以上のブログ記事アップ休止状態にも係わらず、ご訪問して下さった皆様、ありがとうございます。

いつの間にか、40日間の休止。
ブログ開始以来、これだけの長期休止は初めてです。
アップしたい出来事は山積みですが、相変わらずのパソコン関連トラブル、そして今回は住宅関連の室内工事対応で心身共にせわしなくしておりました。

この先4月後半も、所属会の例会、某話題についての対面対話予約等々。
とりあえず、八重山歌壇3月掲載分をアップさせて頂きます。



独り居思考

百世帯集合住宅その一室六畳一間に詰まりし吾が生

他人事(ひとごと)のやうに思ひぬ我が年齢数字目にする度の戸惑ひ

戸籍情報数字と現実自己認識その差の隔離年齢といふもの

在宅のテレビ三昧座するまま沖縄日本世界が見ゑしよ


(八重山毎日新聞「八重山歌壇」 3月27日(水)掲載)
  


Posted by あんあん at 00:55Comments(0)短歌、俳句

2024年03月02日

生(ま)り島・黒島の事---短歌たんたん 令和6年2月

黒島の牛まつりは、年に一度、2月の最終日曜日に行われていますが、
今年度第31回は、2月25日でした。
当日の様子を伝えた八重山毎日新聞記事・2月25日号が我が郵便受けに昨日届きました。
八重山歌壇「如月の短歌」掲載と同日です!

そして、たまたま黒島に関して詠んだ我が短歌でした。

牛まつりに関しての記事は、当日のイベントの様子を一面カラーページ画像の大画面、そして「牛づくし催し多彩」という4段抜きの大タイトル文字.

サブタイトルには,「黒島一大行事 牛まつり1800人沸く」「綱引き対決,
5年ぶり復活」と大々的な記事でした。

因みに、「牛まつり」についての当ブログ過去の記事。
30記事ほどありますが、とりあえず下記をご紹介。
第27回黒島牛まつり(2)---牛との綱引き! (2019年04月14日)



生(ま)り島・黒島の事

黒島を黒島島と言ふ郷友(とも)あり成程と思ひつつ語源巡らす

村中が一軒の家に集まりて親子ラジオ聞きし遠き日の黒島

真ん中を歩けと言はれし島の道ハブ潜みゐむ石垣避けてと

牛肉を食すを厭ひ来し吾なり牛に囲まれ育ちし故か


(八重山毎日新聞「八重山歌壇」 2月27日(火)掲載)
  


Posted by あんあん at 07:35Comments(0)短歌、俳句黒島

2024年02月22日

「ぱちり・ぽつり」 開始、十二年記念日!


キラキラ  「ぱちり・ぽつり」開始、十二年が経ちました! キラキラ 
  (2024年2月22日22時22分記事アップ)

 
初めてでしたが、てぃーだブログさんからメッセージがありました。
「ブログ開設12周年です!」と。

ともかくも、本日でブログ開始12年、記事総数 1,265件。

昨年の記念日に、今年はもう一つのブログを立ち上げる計画ですと書いたのですが、
ご存知のように。石垣島・黒島、沖縄本島行きでバタバタ、アクセクの日々でしたので、実行できず終い。

さぁ、今年はどうでしょうか?
今年も昨年の余波、そして一度は石垣島・黒島行きを考えておりますので・・・。

書きたい事、アップしたい記事はた~くさん!
ともかくも、心身の様子を見ながらやるべき事をこなしてまいります。
気が向いた時にでも当サイトへのご訪問、お待ちしております。
  


Posted by あんあん at 22:22Comments(4)日々坦々

2024年02月20日

例会500回記念誌から見える様々な事

私は10件近くの会に所属しておりますが、毎月例会がある会は、当東京・八重山文化研究会を含め2件です。
八重山文化研究会は、基本第3日曜日が例会日でした。
考え巡らせるに、どういうきっかけで入会したのか思い出せません。

他の所属会のイベントと重なって欠席する事はありましたが、20余年通っていました。
例会場も、5ヶ所ほど経験しています。
別の会での友人・知人を、発表者として四名さまをご紹介しました。

巡らせてみるに、40人ほどのメンバーのほとんどが発表者でした。
私が入会以前のメンバーには、現在各分野でご活躍、伊波普猷賞、東恩納寛惇賞、比嘉春潮賞、短歌研究新人賞、各勲章受章者が何人もいらっしゃいます。

現在購読している八重山毎日新聞紙上で見かけるお名前も。

何て質の高い会なんでしょう、と改めて感じ入っています。

それにしても、毎月の例会の手書き案内葉書、会場予約等をボランティアでして下さっていたノリ子姉さんには頭が下がります。
八重山毎日新聞の「人」欄に紹介されてもいいのではと思った事があります。

そして、今回の記念誌編集をおそらくお一人で担って下さった第5代会長の大仲氏。
これまで研究発表も何度かされており、心から敬意を表します。

更に、例会出席時にサーターアンダギー等手作り沖縄料理を提供して下さっていたえみこさん。
私の知らない例会でも料理提供のみならず、発表までして下さっていたんですね。(@_@)

会長を務められた方で、亡くなった方もいらっしゃいます。(T_T)

50周年も続いたとは言え、これで終了となると残念でなりません。
しかし、名簿もありますし、何か特別なイベントがあって案内があれば、参加できる方は多いかも知れません。

とりあえず、
東京・八重山文化研究会500回記念に乾杯!
そして、お疲れ様


私は十八番踊り・「貫花」を記念例会に2回も踊っていますが、記憶に無いのはどうしてなんでしょう? (>_<)     (下記2ページ)





ノリ子姉さんのご都合で、案内状作成が出来ないという事で、パソコンで作成・郵送作業をした事がありますが、今回の記念誌に掲載してあり、鼻高々。(^O^)




各例会の発表タイトル、発表者名のリストが500回分も!



500回記念誌A4版60頁の表紙
  


2024年02月11日

東京・八重山文化研究会例会500回記念誌!


昨年末、東京・八重山文化研究会例会500回記念誌が届きました。



パソコントラブルを含め色々せわしなくしておりますので、詳しい記事は後日という事で、
とりあえず、記念誌表紙をご紹介させて頂きます。

詳しくは、後日に。m(__)m
  


Posted by あんあん at 21:55Comments(0)八重山・沖縄

2024年02月02日

独り居人生---短歌たんたん 令和6年1月




ねばならぬを多数抱えて座すのみの己なだめて観るテレビかな

褒めらるも無ければ非難さるも無き独り居人生行く末や如何に

八階の部屋のカーテン引く早朝闇に輝く総合病院



(八重山毎日新聞「八重山歌壇」 1月27日(土)掲載)
  


Posted by あんあん at 02:02Comments(0)短歌、俳句日々坦々

2024年01月31日

父の28回忌命日


我が部屋で、私を見守ってくれている父の位牌


文明堂のお菓子「月三笠」


ブログアップ無し、何と17日間。
にもかかわらず、ご訪問の皆様、ありがとうございます。

主な原因は、パソコン不具合。
記事素材はいくつもあったのですが、パスせざるを得ませんでした。

本日の記事も、父の遺影写真を当パソコンに取り入れる事が出来ず、以前使用の位牌を使用。

とうちゃん、25回忌だよ~ (2021年01月31日)

当1月は、3回ほど所属会新年会、例会、講演会視聴と出掛けていたのですが・・・。

父ちゃん、文明堂のお菓子、私も食べるの楽しみ~!
  


Posted by あんあん at 15:25Comments(0)日々坦々

2024年01月14日

コーヒーの入った袋の表面写真が!

黒島研究所では、展示会場の裏の事務所に案内していただきましたが、30分ほどお邪魔致しました。

事務所内で、沖縄本島住まいのはずの知人・野底氏に出会いました。
千葉の自宅に帰宅してからでしたが、黒島在の父親が所持していたという、昔の黒島の居宅地図をLINEで送って下さいました。

昔の黒島の事を、色々ご存知の方のようです。
今度是非お訪ねして色々ゆんたくさせて頂きたいと思ったものです。

ところで、学芸員の方に手土産を戴きました。
コーヒーでした。
一人分入りのものでしたが、袋の表側写真がウミガメでした!

自宅で美味しく戴きました。m(__)m


ウミガメの上陸の様子。砂浜が白くないので、黒島の浜辺ではないですね



袋の裏側



黒島研究所内の、ウミガメの展示コーナー
  


Posted by あんあん at 01:25Comments(0)黒島日々坦々

2024年01月12日

「カメとサメにエサやりできます!!」と



昨年9月23日(土・祝)、「すまむにを話す大会」が無事終了した後、29日に黒島行き。
大会無事終了のご報告とお礼に。
すまむにを教えて頂いたお二人の内のお一人・又吉氏宅訪問。



ご一緒に 黒島ビジターセンター を訪ねた後、又吉氏のご提案且つ私自身も興味のあった「黒島研究所」へ。





ビジターセンターの元学芸員であった哲ちゃん兄さん(宮良哲行氏)には、又この次にとご挨拶して。

特定非営利活動法人日本ウミガメ協議会付属黒島研究所 には、これまでに何回か訪問、研究員・若槻元樹氏には手土産を持って訪れた事もあります。

久しぶりに訪ねると、入り口に手書きの案内板。
「カメとサメにエサやりできます!!」と

そして、研究員が変わったようです。
そう言えば、ネットでその情報は拝見した覚えがあります。

お名刺を頂きましたが、新研究員は中西悠氏。
多良間真牛の件を話しましたら、興味をもって下さり、我が持参の関連書類をコピーしたりしていらっしゃいました。
今度、ゆっくりお話ししたいと思いました。

Wikipedia にも掲載がありました。
黒島研究所
  


Posted by あんあん at 02:25Comments(0)黒島日々坦々

2024年01月02日

令和6年、明けましておめでとうございます




明けましておめでとうございます
(遅ればせながら m(__)m)

年賀状作成は、私の年間定期行動の中のひとつで、年によって少し遅れてポスト投函の事もありますが、
今回のように経験した事の無い心身の違和感の中、病院との関りもある中、手を付けられない状況の中で未だに未作成。

おかしな事に、食欲が無いのです。
体調変化から1週間ほどで、体重が3kgほども減っていました。
ただ、身体自体はすこぶる元気です。
病院で処方された薬を戴くために、1万歩も歩いていました。

年賀状は、既に30枚近くの着信は受けております。
私のリアル友達は、ネットを利用していない方がほとんどで、この記事「ぱちり・ぽつり」 ご訪問の方に向けての御挨拶のつもりです。

明日から1週間、年賀状作成に気を入れます!

皆さま、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
  
タグ :年賀状辰年


Posted by あんあん at 22:05Comments(0)日々坦々

2023年12月31日

八重山高等学校 「尚志会」 同窓会

記事としては、まだ不十分ですが、
今年のイベントという事で、とりあえずアップさせて頂きます。
後日、訂正・変更等あると思いますので、よろしくお願い致します。



 



 

 




 



  


Posted by あんあん at 23:25Comments(2)八重山・沖縄日々坦々

2023年12月30日

親友の告別式記事---短歌たんたん 令和5年12月


昨年9月19日帰省の折の、ゆんたく場面でのMちゃん



今年9月7日帰省の折ご自宅訪問、線香を手向ける
ご主人、息子さんのお嫁さんとしばらくゆんたくさせて頂きました



長男のお嫁さんから戴く。遺品整理の中でと
私の好み、調査中事案をご存知だったようです


令和5年今年も明日で終わり。
喪中ご挨拶が何通か届いています。

高齢化社会とは言え、最近訃報記事が多いです。
八重山毎日新聞紙上での、身近な友人の訃報記事にはほんとに考え込んでしまいました。

Mちゃんとは、高校一年の時に出合いました。
当時、八重山諸島には高校が八重山高等学校、八重山農林高等学校の二校しかありませんでしたので、石垣の市街地から離れた地域や各離島住まいの生徒達は、親戚の家や宿泊地から登校していたものです。

生徒会の三羽烏の内のもう一人は、先日の沖縄本島での同窓会で会いましたが、考えましたら、卒業後三人で顔を合わせたのは、ほんの二、三度です。

とにかく今年は、石垣島、沖縄本島行きの用であわただしかった上、何人かのご逝去記事に接し、力が萎え萎えの最近です。




ちゃん付けで呼び合ひし仲八重高にて出合ひし友の名告別式記事に

生徒会の三羽烏と呼ばれゐしわれら登野城と大浜住まひ

一年前帰省の折に顔合はせりやいまそばすすりつゆんたくをせし


(八重山毎日新聞「八重山歌壇」 12月26日(火)掲載)
  


Posted by あんあん at 02:55Comments(0)八重山・沖縄日々坦々

2023年12月25日

石垣島の姉からのお歳暮!

24日(土)午前久しぶりに玄関のベル。
宅急便が届きました。
石垣島在の姉からでした。
恒例のお歳暮。今年は、金城かまぼこ店の「じゅうしーかまぼこセット」でした。


実物写真撮影がうまくいかず、サイト内写真を


その前日体調のおかしさに形成外科、内科と2つの診療科を、レントゲン、CT写真等撮影も含め約3時間も病院にとどまっていた身には、いつもの姉の思いやりに癒されました。

色々ねばならない事が山積の中、とりあえずの記事アップ。

記事アップできない状態のこの約3週間の間にも、イベント出席。習慣で写真は何枚も撮影。

当ブログにご訪問下っている皆様にお応えするためにも、またアップさせて頂きます。
  


Posted by あんあん at 18:55Comments(0)日々坦々

2023年12月06日

短歌(うた)友との食事会---短歌たんたん 令和5年11月



この数年石垣島帰省の用があって、その度に八重山短歌会の月例会に同席出来たらいいなと思っていたのですが、残念ながら日程が合いませんでした。
ところが今回は、「すまむに大会」の役員の中に短歌会会員の方がいらして、例会日ではありませんでしたが、日程調整をしてお会いする事が出来ました。

八重山短歌会の事務局を担当して下さっているAさんと、電話のやりとりをした上での日取り決め。昼食をしながらゆんたくしようという事でした。

記事掲載が大分遅れてしまいましたが、
9月28日、午前11時20分に、「島料理 南の島」にて顔合わせを致しました。
Aさんを含め、会員の方三人とお会いする事が出来たのです。
お名前は毎月の新聞紙上歌壇で馴染みのある方で、Nさん、Kさん。
お二人ともお会いした事のある方でした。

Nさんから、手作りだというピバーツ(粉)とバンシルを戴きました。


ピバーツの生の葉と乾燥後粉にした香辛料



バンシル


この先、毎月の新聞紙上掲載短歌を、お顔を思い浮かべながら拝読出来ます。


島料理 南の島
我が宿泊先から徒歩2、3分の場所でした



南の島 店内の一部




千葉の地より帰省の吾を迎えくれし短歌(うた)の友と食事楽しむ

我が生地黒島出身経営者の料理店にて集ひくれしよ

県産品バンシルー手作りピバーズや手土産戴き写真に納む


(八重山毎日新聞「八重山歌壇」 11月28日(火)掲載)
  


Posted by あんあん at 21:05Comments(2)短歌、俳句

2023年12月04日

さくら通り先の薬局にて

帯状疱疹の件、2回目の診療を3日前に済ませました。
小さな医院ですが、受付をして30、40分は待ちます。
我が経験の中では、初めての4種類もの飲み薬を処方されての診療。
1週間分の薬を飲み終えての感想は、痛みは治まりましたが、少しですが痒みはあります。

そんな状況報告をした上での医師の言葉は、2週間分のかゆみ止め薬を出すが、異常が無ければ、次回の来診の必要は無しとの事です。
大事には至らなかったのだという安堵感にありながら、
それにしても2週間分1種類の薬処方だなんて、かなり安定感のある我が病状なのだろうとホッとしたのは確かです。

処方箋を戴き、馴染みの薬局へ向かいました。一駅先です。

久しぶりの桜通り、長距離徒歩。
あの絢爛豪華に咲いていた桜並木が、今や12月。
これがあの桜かと思えるほど寒々とした枯れ木状態を目にしながらの歩きでした。
当日の歩数計は1万歩近く。






夏ミカンのような・・・



さくら通りではありませんが


薬局は、近隣では大き目の店です。
単なる店員さんではなく、白衣を着た方が対応しております。
女性の方が我が処方箋をご覧になり、30分ほどかかりますというお言葉。
待ち時間有効活用のために、近くのスーパーで買い物をしました。

戻って来て係の薬剤師さんから思わぬ言葉を。
2週間分は長すぎるので、医師に問い合わせの電話をしたというのです。
ところが、医院は昼休み中で返事がもらえなかったので、薬処方はもう少し遅くなりますとの事。
一旦自宅に戻り、出直しますと返事をして自宅へ向かいました。

自宅への道を歩きながら、当女性薬剤師さんの几帳面さに感じ入ってしまいました。
医師の処方に異論を唱え、患者に薬を手渡すのに慎重なのです。

夕方再訪した薬局には当女性薬剤師ではなく、男性薬剤師さんの対応でしたが、結果的には医師の処方通りの薬処方でした。

前回処方の4種類とはまた違う薬で、1センチほどの小さなカプセル1種類。

処方箋の「薬のはたらき」欄に、下記2行の文字。
不安や緊張等を和らげるくすりです。
かゆみを抑えるくすりです。


成る程と納得した私。
今回の症状には、痛み、痒みともに覚えが無いのに何故こんな症状?と巡らせていましたが、
このところの3回渡航の石垣島、沖縄本島行きで、精神的にかなり負担がかかっていた事は自覚していました。

年末に入り、ねばならない事は山積していますが、少なくとも薬を飲み終えるまでの2週間は、自分を解放してあげたいと思っています。

今週の土曜日は、八重山高等学校の同窓会が予定されていますが、きっと大丈夫、楽しみにしています。
  


Posted by あんあん at 18:25Comments(0)日々坦々

2023年11月28日

「帯状疱疹」になっちゃいました~!

「帯状疱疹ですね。」という何気ない医師の言葉に、えっ!と声を挙げてしまいました。
4日前体調のおかしさに訪ねた病院での出来事。


私の写真ではありませんが、こんな症状です


数年前、身近な方が当病名にかかったという事で、当時任務についていらした役職を降りるという事があり、「帯状疱疹」という言葉は知っていました。

首筋にできた赤い湿疹のようなもの、時折ジンジンとくる痛み、そして痒みから、皮膚科を訪ねました。
ネット検索で見つけた徒歩15分ほどにある小さな医院ですが、経験豊富な医師と判断しての選択でした。

提供された薬の多さにもビックリ。
飲み薬4種類、塗り薬1種類。1週間分の処方です。

私は20代後半から10年ばかり手術・入院という2つの病名を経験していますが、皮膚科を受診するのは初めてです。
ブログにアップする事にはためらいがありましたが、
今回のネット検索で、意外と罹患者の多い病名だと知り、当ブログをお訪ね下さる方へ注意喚起の為にもと思い、こうして掲載致します。

帯状疱疹は免疫力が落ちた時に発症しますので、免疫力を落とさない生活習慣を身に付けましょう。
帯状疱疹は神経にそってウイルスが皮膚に到達することで、皮膚炎を起こして出てきます。
ある部位での免疫力が弱まり、その部位に帯状疱疹が発症する病気なのです。睡眠・栄養・休養が不十分だと、帯状疱疹が発症しやすくなります。
帯状疱疹は疲れのシグナル!


記事のリンクを貼っておきます。
帯状疱疹

帯状疱疹の原因・症状・治療法をまとめて簡単に解説します【2023年 医師解説】
 ドクターマンデリン 内科医 舛森 悠




それにしても、
石垣島、沖縄本島行きスケジュールを無事にこなし、もしかしたらと、年内にもう一度の帰省を思案中ではあったものの、久しぶりのノンビリを味わっていた矢先だったのです。

所属会への出席も止められましたので、本日の「聴き耳の会」月例会は欠席です。
傷みと痒みが時々ある以外、体調はいつもと変わりません。
1週間分の薬を飲み終えたあたりに再診に行く事になっておりますが、
たくさんのねばならない事を抱えている身としては、堂々とノンビリ出来ます。

コロナ禍からとりあえず解放されたものの、皆様もお気を付けて!
  


Posted by あんあん at 06:45Comments(2)日々坦々

2023年11月23日

かわはら幼稚園、園服のデザイン



これまでご紹介した写真の子どもたちを拝見するに、
私服の子どももいるし、制服着用は自由にしていたようです
襟の前方、丸みを帯びた襟元の左右に、
向かって左は「かわ」、右には「はら」と刺繍をしてあります
きれいにお見せできる写真がなくて残念ですが、
ひとしきりネット検索をして似たような襟の服を探しましたが、ありませんでした
という事は、私は斬新なデザインの襟を考案した事になるのでしょうか? (^-^)


公立幼稚園に認可になってからでしたが、子どもたちの園服を決めようと思い立ちました。
デザインを決め、姉に話しました。
姉は洋裁店に勤めており、自宅でも常にミシンを踏んでいました。

その影響からか私もミシンを踏むのが好きで、実は子どもたちと映っている黒いワンピースは、高校時代の制服のスカートをほどいて自ら作り直したものです。
上衣は姉作成でしたが、ひだスカートはわたくし自らが作成したものを着用していました。

隣の家のおじさんのズボンの破れを繕って差し上げた事もあります。

私が幼稚園を去った後、その園服使用が続いていたかどうかわかりませんが、今度姉に尋ねてみようと思います。
  


Posted by あんあん at 01:15Comments(0)八重山・沖縄日々坦々

2023年11月20日

幼稚園名、ひらがな使用の先駆者は私?



創立50周年記念誌表紙。田園風景の中の幼稚園です
10年ほど前、当時川原小学校校長・かわはら幼稚園園長の宜野座愛子先生から
送られて来ました


かわはら幼稚園関連の事で、ずっと気になっている事があります。
幼稚園名のひらがな使用についてです。

通常だと地名の「川原」をそのまま使用して、「川原幼稚園」と命名する事が一般的だと思います。
もともと私はひらがなが好きでしたし、子どもたちにも読めるようにと思っての事でした。

当時木造だった市役所への届け出の際、「かわはら幼稚園」と地名をひらがなにしての申請でした(1970年あたり)。
どなたかに相談したのでもなく、私自身の好み、考えからの申請書記入でした。

当幼稚園から離れて千葉県住まいの中で、おや?と気になっている事があります。
「八重山毎日新聞」を購読しているのですが、たまに目にする他地域の幼稚園名が同じくひらがななのです。

私は八重山幼稚園出身(半分は黒島の保育園)ですが、その園名が「やえやま幼稚園」とひらがなで飛び込んで来たのに、あら? と違和感を覚えたのです。
他にも「石垣市立おおかわ幼稚園」、「石垣市立あまかわ幼稚園」、「石垣市立しらほ幼稚園」とひらがな。

もしかして、ひらがな園名を使用した先駆者は私?
と生意気にも思いつつ何年も過ぎていました。

今回、沖縄地域の幼稚園名をネットで調べてみました。

沖縄本島、宮古島は、漢字がほとんど。
那覇市立石嶺幼稚園、浦添市立沢岻幼稚園、宜野湾市立嘉数幼稚園・・・。
宮古島市立東幼稚園、宮古島市立西辺幼稚園、宮古島市立平一幼稚園・・・。

竹富町、与那国町はひらがながほとんどでした。
竹富町立うえはら幼稚園、竹富町立おおはら幼稚園、竹富町立はてるま幼稚園・・・。
与那国町立よなぐに幼稚園、与那国町立くぶら幼稚園、与那国町立ひがわ幼稚園・・・。

それも、市、町など公的機関管轄のようです。

今度帰省した時、関係機関、関係者に接して確認したい気持ちになっています。
  


Posted by あんあん at 18:05Comments(0)日々坦々ことばに関して

2023年11月17日

「沖縄の集落における子育ての共同組織に関する研究」に(2)

かわはら幼稚園の事で記述してある8頁の中で、私自身の事に関する部分を下記掲載させて頂きます。
当研究誌のURLを表示していいものかどうか迷いがある中での判断です。

この数日当ブログを含め、ネット検索をしながら、
川原幼児園・かわはら幼稚園勤務時代を巡らせていましたが、当時の写真数枚を並列してみます。

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[★★やす子の証言]
 ★★やす子の証言はここまでであるが、★★は、
「お日さまとレコード 炎天下の出来事」のタイトルで公立園になった頃のエピソードを
『月刊やいま』2010年8月号に投稿している(p44)。
当時の若い保母の奮闘ぶりがわかる状況であるので、再録しておく。

    (先日掲載の写真)


むかーし、幼稚園の先生をしていました。石垣島の真ん中辺り、パイナップル農家の子ども達がほとんどの幼稚園です。
赴任して二年目に公立認可、小学校の敷地内に園舎が建てられました。
運動場も共有です。学芸会も運動会も小学校と一緒に行いました。

ある時、運動会に向けておゆうぎのお稽古をしていました。
当時はまだレコードの時代。ヤマトゥの幼稚園での助手時代に覚え気に入っていた遊戯のレコードは、私物でした。ポータブルプレイヤーを運動場の草の上に置き、ボリュームをいっぱいにしての練習です。

一クラス一人の職員。
何役もこなさなければいけない私は、プレイヤーを操作し、見本を踊って見せ、園児の手をとり足をとりと、炎天下で大奮闘でた。

ひとしきり動き回って気が付くと、あら大変、レコード盤がフリルのように波打ち、見事に変型してしまっているではありませんか!
「犯人はお日さまだー」子ども達と一緒に叫びました。自宅に持ち帰り、家人に訊きました。
お湯に浸けた後、二枚の板でサンドイッチにして圧力をかけたりしました。
結局使い物にならず、石垣のレコード店にも置いていない当レコードを、那覇まで渡って購入したのでした。

最近の音源再生装置の進化ぶりと全天候対応の体育館の時代には、昔の話。

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公立認可間もない頃のかわはら幼稚園、そして川原小学校校門前にて



ブランコの周りに集まって。手前の雑草は、伸びるのが早いんです
実は、ブランコは当時父が勤めていた鉄工所が工事したのです



朝の体操の前に。「♫ トントンま~え」と言いながら間隔をとりまっすぐに並びます
後ろに見える植物は、芭蕉(バナナ)の木。
その後ろにはサトウキビ畑とパイナップル畑が広がります



教室に入って出席をとっているところかしら? 絵を貼った壁の後ろが職員室



お帰りの前に、大好きな紙芝居の時間
  


Posted by あんあん at 12:25Comments(0)八重山・沖縄日々坦々

2023年11月15日

「沖縄の集落における子育ての共同組織に関する研究」に(1)


手前の彼は目が大きかったなあ

数年前のある日、知らない男性から電話。
石垣島川原地区住まいの姉から番号を教えてもらっての、電話でした。

質問の仕方が、新聞記者なのかと思うほどでしたが、いわば研究者だったようです。
かなり後で知る事になりますが、沖縄県名桜大学の教授という事でした。
嘉納 英明(Kano Hideaki)名桜大学教授

ひとしきりやりとりしていましたが、いわば研究の為の聞き取り調査という事です。

その件に関して思い出すことも無い3年ほど経ったある日、ネット検索していた中でたまたま当研究に関しての記事に出合いました。

沖縄の集落における子育ての共同組織に関する研究 (その6)
―石垣島・川原幼稚園の関係者からの聞き取り― 嘉納 英明


我が実名入り、写真まで表示しての論文。
[本調査は、科学研究費補助金(課題番号:16K04560)による成果の一部である]
とありました。
かわはら幼稚園に関わる事は、A4・8頁ほどにわたる記述です。

姉と、私の前に当幼児園の保育をしていらした園児の母親でもあるF先生に、コピーしてお送りしました。

私自身石垣島を出てヤマトゥの地で、波乱の人生を生きて来ました。
10年ほど入院・手術を経験した体調の中での様々な種類の仕事を経験する中で、当かわはら幼稚園での働きは、密かに自らを褒め称えていたのですが、
第三者、しかも大学の研究者からの褒賞とも言うべき言葉を受けるというのは、この上ない喜びでした。

私の中での密かな自慢話が、地域的、社会的にも評価されたという事ではないかと思うとかなり救われました。

8頁ほどに亘って書かれた論文ですが、下記一部分を掲載させて頂きます。
(続きは次回に)
  


Posted by あんあん at 19:05Comments(0)八重山・沖縄日々坦々