「四ツ竹」のお稽古をしなければ

あんあん

2012年02月23日 15:15

我が「葉書通信」の第27号(1998・1・4)。
かなり今の心境に共通するものがありますので、昨日に続いて掲載させて頂きます。
当時の葉書をスキャンしてみましたが、判読できるでしょうか? こんなスタイルで発行していました。
寒中見舞いとなっているのは、母が亡くなってすぐの正月だったからです。

私は踊りに関しては、ヤマトゥに来てから競技ダンス、フラメンコダンスと手を染めましたが、お稽古に時間もお金も労力もかけたのは競技ダンスです。いわゆる社交ダンス。
琉球舞踊に関しては、石垣在時、観るのも自らが舞台に立つのも生活の中の一部分という感じでした。それは決して特別なものではなく、例えば親戚の方のショウニヨイ(干支の祝い)や父の会社の経営者の息子さんの結婚式に必要に迫られてというように、しかも知り合いのオジー(おじさん)の手ほどきを受けて踊るという感じでした。

ということでヤマトゥに来て月謝を払ってお稽古をしたというのは、トータルで2年くらいしかありません。「四ツ竹」に関しての言及は、当時川口喜代子先生のお稽古場に通っていた時だからでしょう。今や「貫花(ぬちばな)の〇〇子」と呼ばれるほどの我が十八番ともいうべき踊りですが、その頃川口先生に教えて頂いたものです。今や川口先生は、琉球舞踊界の重鎮。襲名お弟子さんを何人も輩出、沖縄県人会の大役も担っていらっしゃいます。お心遣いの深い方で、今でもお電話を頂けるのを有り難く思っております。

さて、その四ツ竹ですが、今度6月に、ある舞台で踊る予定があり、来月からお稽古をしなければいけない状況です。
もう一つ文中の「あぶじぇーま」に関しては、やはり私のこだわりのいわば仮面舞踊ですが、「山崎ぬアブゼーマ」と今は表記しています。アブゼーマに関してはまた改めて書きたいと思います。
短歌を掲出
三キロ入り玄米と電球買ひしのみ独りの師走喪中の正月

郷よりの電話鳴らずば延々と索漠と長き元旦といふ日

独り居は気ままと言ひ来しが強がりと思ひ知らされる師走正月あたり

二百世帯集合住宅の中の一室女仙人歌詠み遊ぶ

いちにちに境目無きは落ち着かず正月明け方湯に入りて眠る

雨露をしのぐためなどと迷ふことなく毛皮のコートは飄々と買へ

朝日新聞夕刊一面「素粒子」欄書く君を恋すと口外すれども



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