むすびの会 第13回通常総会参加記---講座「日本人の身体づかい」(2)
(続き)
石垣島在時、琉球舞踊の基本的な踊り「グジンフウ」(御前風・かぎやで風)を、私は人並みに踊る事が出来ていました。
そして、ヤマトゥに移住する直前に習った踊りが、「鳩間節」(女踊り)でした。親戚の方のマリドゥシヨイ(生まれ年のお祝い)に踊ったのです。
「鳩間節」(女踊り)
「きいやま商店」の中の兄弟の祖父である、 しんぺいおじさん(貝盛新平)に習いました
ヤマトゥの地で2、3の場に乞われて踊りましたが、その後琉球舞踊を踊るどころか観賞する機会もないまま何年かが過ぎていました。
そして一つのきっかけから、競技ダンス(いわゆる社交ダンス)の世界を知る事になります。
モダン系、ラテン系、それぞれ5種目10ダンスある内の、ラテンのキューバンルンバのとりこになりました。
住まいの近くで開催されていたサークルでの踊りだけでは飽き足らず、ベテランメンバーの方からダンススタジオを紹介してもらい、A級ライセンス所持の教師の元へレッスンに通いました。
間もなくディナーショー出演の声がかかり、有名ホテルのフロアを経験しました。当時2回の手術を経験した後のまだ正常ではない体調と向き合いつつ、個人レッスンという費用もかかる中でしたが、あの頃の悲惨な精神状態から抜け出る効果はありました。
ホテルでのディナーショー。キューバンルンバ
パートナーは、A級ライセンス所持のアキモト先生
しばらくして、相手がいないと踊れないというこの競技ダンスのスタイルに迷い、丁度友人との出会いもあってフラメンコダンスの世界に入ります。
そしてその後誘われて観賞した、ヤマトゥの地で初めての琉球舞踊公演の中で目を覚まされ、琉球舞踊教室に通う事になるのです。
すると、石垣島在の時は何の苦も無く当たり前に踊っていた、あのグジンフウのすり足がうまく出来ないのです。すっかりキューバンルンバのウォークが身についてしまって、1メートルさえちゃんと歩けませんでした。
我ながら驚きました。
思えば、キューバンルンバをするようになり、増してやホテルでのディナーショー出演だという事もあって、会社の長い廊下や障害物の無い一本道を見ると、ついルンバウォークをさらっている私でした。
当サイトでの、踊りに関する記事。けっこう書いています。古い時系列でご紹介。
▲「四ツ竹」のお稽古をしなければ(2012年02月23日)
▲キューバンルンバと琉球舞踊(2012年02月24日)
▲川口喜代子先生の踊り(1)(2012年04月18日)
▲「組踊の楽しみ」を楽しんだ一日(2014年03月10日)
(続く)
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