川口喜代子先生の踊り(1)

あんあん

2012年04月18日 21:28

15日(日)の東京琉球舞踊協会の公演は、久しぶりに観客席から琉球舞踊を堪能致しました。
特に協会の会長である川口喜代子先生の踊りは、いろいろ思い出すこともあり、なつかしく拝見致しました。昨年久しぶりにお会いした時には杖を手にしていらっしゃり気になりましたが、先日はそれを感じさせないくらい見事に「金細工」(カンゼーク)のアンマー役を踊ってくださいました。

ヤマトゥに来て、競技ダンス、フラメンコと手を染めた私でしたが、たまたま出かけた琉球舞踊の公演。それが川口先生の主催する公演でした。30年近くも前の事です。所属していた短歌結社「くぐひ」の川俣和(やすし)先生に同行しての観賞でしたが、ヤマトゥの地での初めての琉球舞踊観賞だった事もあり、眠っていたものが呼び覚まされたような感慨に包まれました。と同時に久しく離れていた琉球舞踊に対して、義務感のようなものも感じたのです。

そして当日のプログラムに記載されていた連絡先に電話をして教えを乞うたのが、当時は曙橋にあった川口先生のご自宅兼お稽古場でした。常に身辺異変が目まぐるしくて一つのお稽古ごとを長く続けられなかった私ですが、1年足らずの稽古場通いで覚えたのが今や「貫花の〇〇子」と言われるほどの我が十八番となってしまった「貫花」(ぬちばな)なのです。

横道に逸れますが、川俣和先生は沖縄県立第二中学校(現沖縄県立那覇高等学校)で教鞭をとられた方です。折口信夫の進言だったとお聞きしておりました。先日(4月5日)言及した琉球歌壇の選者をされた嶋袋全幸先生は、川俣先生の教え子です。世田谷の八幡山のご自宅にはよく呼ばれて、お話しを聞いて頂いたものです。先生は故人となってしまわれましたが、沖縄で生まれたという娘さんとは今でも年賀状のやりとりがあります。

先日は、同席の方に「川口先生は足袋のサイズが私よりも小さい22なのですよ」と耳打ちして教えて差し上げました。下記当時公演された、先生のひとり舞いを拝見した際に詠んだ短歌です。先生には掲載同人誌を差し上げて喜ばれました。短歌に句読点?と違和感を持たれるかも知れませんが、釋迢空(折口信夫)を継承しての、「くぐひ」独特のものです。尚、川口先生の当時のお名前は女篇のある「嬉代子」でした。

「くぐひ」掲載の我が作品整理をしたいのですが、いつになる事やら。とりあえず出詠前の原稿が見つかりましたのでその11首を2回に亘って掲載させて頂きます。


『川口嬉代子ひとり舞ひ』(1)

恋ひ焦がれ、鬼と化す女の情念と、異郷の琉舞を気負ふ情熱と

弟子我らに手作りてんぷらふるまひし、御(み)手たをやかに今し、「諸屯(しゅどん)」舞ひゐて

白魚の如き手ゆるゆる空(くう)に遊び、曲線作る時の御(み)指の味はひ

歩き三年と言はれて難き摺り足を、歩く赤足袋の動きの確かさ

檜舞台を自在に歩む足袋サイズ、我より小さき「22」を知る

七・三の割にと習ひ来て難かりし視線を、ゆとり持ち移し行く

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